東京地方裁判所 平成6年(ワ)17171号 判決 1996年10月21日
原告
甲野太郎
右訴訟代理人弁護士
白井久明
被告
国家公務員等共済組合連合会
右代表者理事長
古橋源六郎
右訴訟代理人弁護士
真鍋薫
主文
一 被告は、原告に対し、金三三〇万円及びこれに対する平成六年九月三日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 原告のその余の請求を棄却する。
三 訴訟費用は、これを二〇分し、その一を被告の、その一九を原告の各負担とする。
四 この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。
事実及び理由
第一 請求
被告は、原告に対し、金六三五七万〇一一二円及びこれに対する平成五年九月二二日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
第二 事案の概要
本件は、訴外亡甲野花子(以下「花子」という。)の夫である原告が、花子の再発乳ガンの治療が手遅れになって同人が死亡したのは、被告が開設する病院の医師らが花子の乳ガンの再発を発見するのが遅れたためであると主張し、被告に対し、右医師らを履行補助者とする診療契約上の債務不履行(花子の損害について)及び使用者責任(原告自身の損害について)に基づき損害賠償を求める事案である。
一 争いのない事実等(証拠を掲記した事実以外は、当事者間に争いがない。)
1 花子は、昭和一九年一二月一三日生まれの女性で、平成五年九月二一日死亡した(当時四八歳)。
原告は花子の夫であり、同人の唯一の相続人である(甲一、二八)。
被告は、国家公務員等共済組合法に基づいて設立された法人であり、東京都千代田区九段南二丁目一番三九号において、「九段坂病院」(以下「被告病院」という。)を開設している。
2 花子は、昭和六〇年三月、被告病院において乳ガンと診断され、同月四日、被告との間で乳ガンの治療を目的とする診療契約を締結し、被告病院に入院した。花子は、同月七日、同病院において、訴外乙野二郎医師(以下「乙野医師」という。)及び同丙野三郎医師(以下「丙野医師」という。)の執刀により右側定型的乳房切除の手術を受けた。乳ガンの進行段階はステージⅠ(四段階中の第一段階)であった。
3 花子は、同年四月四日退院し、以後、適宜被告病院に通院し、丙野医師の担当のもとで、抗ガン剤等の服用治療を続けていたが、術後五年を経過した平成二年四月二四日、右治療をいったん中止した。
4 花子は、同年一二月二六日、右胸壁にピリピリする痛みを感じ、翌二七日、丙野医師の診察を受け、その後は平成三年二月七日、九月三日、一〇月二四日、平成四年三月一七日にそれぞれ丙野医師の診察を受けたが、右一七日の受診時において、右前胸壁の激しい痛みを訴え、その後は右痛みを理由に同月三一日、同年の四月七日、同月九日、同月三〇日、五月一日、同月二日、同月二八日、七月九日にそれぞれ丙野医師(ただし、平成四年五月一日及び同月二日は代診の医師)の診察を受けた。同医師は、同年四月七日、「胸骨及び胸肋関節部骨髄炎の疑い」と診断した。同年五月二〇日、東京医科歯科大学放射線科において、骨シンチグラフィ(以下「骨シンチ」という。)検査が実施されたが、同科の所見報告は、骨転移は認められず、胸鎖関節や靱帯の骨化が最も考えられるとのことであった。
5 花子は、同年八月二〇日、三井記念病院で受診し、同月二五日、同病院においてCT検査(コンピュータ断層撮影法)を受け(甲九の一ないし三)、同月二七日、右CT検査のフィルムの写しを持参して丙野医師の診察を受けた。丙野医師は、右フィルムの写しを検討し、被告病院整形外科の訴外丁野四郎医師(以下「丁野医師」という。)と協議した結果、過骨症と診断してその治療を行うと決め、以後丁野医師が右治療を行った。丁野医師は、同年一一月九日、花子に対し、「胸肋鎖骨過骨症」と診断しその旨の診断書を作成した。しかし、その後丁野医師は、同月一二日、花子に対し、胸部腫瘤である旨告知した。
6 花子は、同月二四日、国立がんセンター中央病院(以下「国立がんセンター」という。)で受診を受けたところ、再発乳ガンであり、骨転移はないが、臓器への転移が明らかで、手術は不可能であり、抗ガン剤の投与等による内科的治療が唯一の方法である旨診断され、その後、同センターに通院し、平成五年四月一三日から同年五月二二日までの間同センターに入院して放射線治療等を受けたが、治療効果はなく、同月二六日から同年七月八日まで、葛西中央病院に入院し、同日、東京都小金井市桜町一丁目二番二〇号所在聖ヨハネ桜町病院のホスピス病棟に転院し、同年九月二一日、同病院において乳ガンのため死亡した(甲五、乙三ないし五、証人安達勇、原告本人)。
二 争点
1 被告病院医師らに、花子の乳ガンの再発を発見するのが遅れた過失があったか。
(原告の主張)
花子の乳ガン再発は、平成四年三月ころに生じていた。
丙野及び丁野両医師は、花子が乳ガンの手術を受け、平成二年一二月二七日には胸壁の痛みを訴え、平成四年三月一七日には激しい痛みを訴え、局所に発赤が存在したことを知悉していたのであるから、骨転移のみならずあらゆる部位にガンの再発がないかを疑い、視診、触診、問診、腫瘍マーカー、胸部レントゲン撮影、骨シンチ、CT検査、MRI検査、超音波検査、生検等の各種検査を積極的に行い再発の発見に努めるべきであり、右諸検査を行えば、平成四年四月ころには乳ガンの再発を確認することができたし、遅くとも花子が三井記念病院のCTのフィルムを持参した同年八月二七日には、これらの検査により乳ガンの再発を確認することができた。
しかるに、右両医師は、五年以上経過後の乳ガンの再発部位は主として骨であるとの思い込みから右諸検査を怠り、当初はリウマチを疑い、専ら骨転移を否定する目的で骨シンチを行ったが、骨転移が否定されると、今度は過骨症であると診断し、三井記念病院の医師が、花子に対し至急被告病院にCTのフィルムを持参して生検を受けるよう指示した同年八月二七日にも、花子が生検を希望したにもかかわらずこれを行わず、乳ガンの再発を否定し、漫然過骨症との診断に固執しその治療を続け、同年一一月に至るまで乳ガンの再発を発見しなかったから、右両医師には発見が遅れたことにつき過失がある。
(被告の主張)
丙野医師は、乳ガン再発の可能性については常に考慮して腫瘍マーカーの測定や触診などの検査・診察を行っている。花子の症状等から、平成四年四月以前に乳ガンの再発を疑い、推定することは不可能であった。
ステージⅠの乳ガンの再発率は比較的低く、術後五年以上経過後における再発の九割以上が骨転移であり、本件のようにステージⅠで術後五年以上経過後に臓器への転移が生じた例は稀である。痛みが生じた部位が骨周辺であったことからも、丙野医師らが骨転移を念頭において再発の検査を行ったのには合理的な理由がある。同年五月二〇日に再発の可能性を考慮して実施した骨シンチの結果、骨転移が否定され、痛みの部位などから総合的に過骨症が一番疑われ、三井記念病院におけるCT検査の結果も過骨症を否定するものではなく、同病院からの書面によるCT診断及び指示もなかった。丙野医師は、同年八月二七日、花子に対し、生検を希望するかどうか尋ねたが、花子はこれを希望しなかった。そこで、過骨症の所見が強いので、炎症をおさえる治療を行ってその変化をみてから生検をするかどうか決定することとなり、花子もこれを希望した。腫瘍性病変を疑う状況が出現したのは、同年一〇月一日以降である。
したがって、丙野及び丁野両医師には、花子の診察上、何らの過失もない。
2 被告病院医師らに右過失が認められる場合に、右過失と花子の死亡又は延命利益の喪失との間に因果関係が認められるか。
(原告の主張)
(一) 再発乳ガンに対し、標準的な内分泌療法を行った場合の平均生存期間は三二か月であり、再発時から四年ないし五年以上生存する例も多数報告され、また、積極的な外科手術も有用とされている。花子は、丙野医師らの前記過失により、右のような治療を受ける機会を奪われ、乳ガンの再発であると診断された時点においては既に手遅れの状態であり、その結果死亡したのであるから、再発発見の遅れによる右過失と花子の死亡との間には因果関係がある。
(二) 仮に、現在の医療水準において乳ガン再発の場合完全に治癒することが不可能で、再発発見の遅れと花子の死亡との間に因果関係が認められないとしても、少なくとも花子の乳ガンを平成四年一〇月より早期に発見していた場合には五年以上の延命も可能であり、右過失により、花子は早期に延命治療を受ける機会を奪われ、その結果死期が早まったのであるから、右過失と同人の延命利益の喪失との間には因果関係がある。
(三) また、右いずれの因果関係も認められないとしても、花子は、前記過失及びこれにより治療を受ける機会を奪われたことにより、平成四年一一月以降死亡するまでの間、病院生活を送らざるを得ず、その精神的な損害は計り知れないものがある。すなわち、花子にとって、どれだけ長生きができるかといったいわば量的な利益のみが法的保護に値する利益ではなく、どのような生活・人生を送るか、どれだけ納得した生活・人生を送るかという、いわば質的な利益(クオリティ・オブ・ライフ)も法的保護を受ける利益であり、その利益が前記過失によって侵害されたものである。また、そのような花子を見ていかざるを得なかった原告自身の精神的な損害も計り知れないものである。
3 損害
(原告の主張)
(一) 逸失利益 金三五七〇万〇一一二円
花子の平成元年から平成三年までの収入は次のとおりである。
平成元年 金五二五万八五三〇円
平成二年 金五三五万三五四〇円
平成三年 金五七一万九一八〇円
平均年収 金五四四万三七五〇円
花子が死亡したのは四八歳であり、少なくとも六七歳までは労働可能であり、労働能力の喪失時期は一九年であるので、右平均年収から生活費相当額五〇パーセントを控除した額に新ホフマン計数13.1160を乗じた金三五七〇万〇一一二円が花子の逸失利益である。
(二) 花子の慰謝料 金二〇〇〇万円
(三) 原告固有の慰謝料 金五〇〇万円
(四) 弁護士費用 金二八七万円(うち着手金八〇万円、報酬金二〇七万円)
合計金六三五七万〇一一二円
よって、原告は被告に対し、花子自身の損害については、丙野及び丁野両医師を履行補助者とする被告の右診療契約上の債務不履行に基づき、原告自身の損害については、民法七一五条の使用者責任に基づき、その賠償を請求する。
第三 争点に対する判断
一 花子の診療経過
甲第二ないし第五号証、第七号証の一ないし七、第八号証、第九号証の一ないし三、第一〇ないし第一四号証、第一五号証の一、二、第一六号証の一ないし六、第一七号証の一ないし四、乙第一号証の一、二、第二ないし第七号証、証人丙野三郎、同丁野四郎及び同安達勇の各証言、原告本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。
1 花子は、昭和六〇年一月七日、勤務先の定期検診で右乳房にしこりがある旨指摘され、同年二月二日、被告病院外科外来において乙野医師の診察を受け、同年三月二日、乳ガンと診断された。触診では腫瘤の大きさは約二センチメートル×三センチメートル大であった。同月七日、乙野医師及び丙野医師は、花子に対し、右側定型的乳房切除術(乳房、大小胸筋切除、腋窩及び骨下リンパ節郭清)を実施した。腫瘤の大きさは二センチメートル強であり、リンパ節転移及び遠隔転移は認められず、進行段階はステージⅠであった。
2 花子は、同年四月四日退院した。丙野医師は、花子の乳ガンが比較的悪性度の高い面皰ガンであったことから、再発防止のための術後補助療法として、ノルバデックス(ホルモン剤)及び5―FU(抗ガン剤)の経口投与を行うこととし、花子は、右治療のため適宜被告病院に通院し、丙野医師の診察を受けた。花子は、その間、時折右上肢のむくみ、だるさを訴えることがり、また、昭和六二年二月一九日の受診時には、右胸第二第三肋間の痛みを訴えたが、血液検査等の結果及び局所所見には異常は認められず、右痛みもその後消失した。
3 丙野医師は、平成二年四月二四日、ホルモン剤及び抗ガン剤の投与は目標の二分の一ないし三分の一程度にとどまったが、血液検査の結果は正常で、局所所見でも再発の徴候は認められず、術後五年が経過したことから、花子に対し、今回の検査結果が正常であれば治療を中止してもよいので、一か月以内に検査結果を聞きに来るよう指示し、治療を中止する場合でも六か月に一度は受診するよう指示した。しかし、花子は同年一二月二七日まで丙野医師の診察を受けなかった。
4 花子は、同月二六日、右胸壁(第二肋骨下縁、胸肋関節部近く)にピリピリした痛みを覚えた。翌二七日、丙野医師が診察したところ、局所には腫瘤や発赤などの異常所見及び圧痛は認められなかった。丙野医師は、リウマチ反応、腫瘍マーカー等について血液検査を実施し、インテバンクリーム(消炎鎮痛剤)を投与し、一か月以内に検査結果を聞きに来るよう指示した。右血液検査の結果、異常は認められなかった。平成三年二月七日の診察時には、右痛みは時々になり、その程度も軽減していた。同年九月三日及び同年一〇月二四日の診察時においても、右痛みの訴えはなく、血液検査の結果及び局所所見にも異常は認められなかった。
5 花子は、平成四年三月ころから右前胸壁が昼夜を問わず激しく痛むようになり、右鎖骨の下に赤い斑点があり、その周辺にかすかな隆起があった。同月一七日、丙野医師が診察したところ、右痛みの訴えのほか、第二肋骨の胸骨付着部の圧痛、発赤が認められ、原因不明の炎症が存在するとの所見であった。丙野医師は、肋骨胸骨のレントゲン撮影を実施したが、骨折や骨転移を示す像は認められず、血液検査の結果も異常はなかった。丙野医師は、コバマイド(筋肉痛に適応のビタミン剤)、ロキソニン(非ステロイド性鎮痛抗炎症薬、リウマチの薬)及びダーゼン(抗炎症薬)を投与した。
花子は、同月三一日及び同年四月七日、丙野医師の診察を受けたが、右痛みは持続しており、同日、一か月間勤務を休みたい旨申し出たので丙野医師は「胸骨及び胸肋関節部骨髄炎の疑い」と記載した診断書を作成し、前回と同様の薬を投与した。同月九日の診察時にも痛みは持続しており、丙野医師は、痛みが持続するなら骨シンチを実施して骨転移の有無を確認する旨述べ、インダシン(鎮痛剤、慢性リウマチの薬)を投与した。
6 花子は、同月一八日より同年五月一五日まで勤務先を休み、同年四月三〇日、丙野医師の診察を受けた際、痛みは持続しており、温泉リハビリを受けたい旨述べた。丙野医師は、東京医科歯科大学放射線科に骨シンチを依頼するとともに、花子が右リハビリ先として指定した二之沢草津病院に対し、「一九九二年三月に、来院した際同様の訴え(右胸壁の痛み)があり、第二肋間神経痛かと考えましたが、消炎剤、鎮痛剤にても症状軽減しません。肋骨への転移を考えましたが、検査上全く再発の徴候はみられておりません。」との紹介状を書いた。花子は、結局、右温泉リハビリは行わなかった。花子は、同年五月一日の診察時(代診の医師が担当)、インダシン坐薬がすぐ出てしまうので効かない旨訴えたところ、ボルタレン坐薬(鎮痛消炎剤、慢性関節リウマチの薬)に変更され、翌日には右ボルタレンが効を奏した。
7 同月二〇日、骨シンチ検査が実施された。東京医科歯科大学放射線科の担当者は、右検査結果について、「骨転移像を認めず、胸肋関節及びその周囲の集積増強は靱帯・軟骨部等の骨化によるもので異常とはいえない」との所見報告を行った。丙野医師は、同月二八日の診察時、花子に対し、右所見報告に基づいて骨再発はない旨告げ、引き続きボルタレンを投与した。
8 同年七月九日の診察時、右胸肋部に軽い膨隆、発赤、局所的な痛みが認められた。丙野医師は、胸鎖関節部変性性骨化と診断し、右所見と関節や靱帯の骨化とが合致しうるか確認するため、被告病院整形外科に対し、「以前より、右胸鎖関節部の骨が隆起している変化がありましたが、それが最近ひどくなり、皮膚にも変化が見られるようになりました。骨転移を否定するためにも、五月に医科歯科大で骨シンチを行いましたが、骨化とのことです。」として花子の診察を依頼した。
同科の訴外中井修医師は同部の圧痛と膨張を認め、臨床経過、局所所見及び前記骨ンシチ所見を総合し、胸肋鎖骨過骨症(鎖骨、肋骨及び胸骨に肥厚及び硬化を生じ、強い炎症を主徴とする疾患)の可能性が最も高いと診断した。また、同医師は、足部の皮疹を認め、しばしば胸肋鎖骨過骨に合併する掌蹠膿胞症を疑って、同病院皮膚科に診察を依頼したが、診察の結果、掌蹠膿胞症の所見は認められなかった。
9 花子は、同年八月より痛みがさらに激しくなったので、同月二〇日、原告の知人の紹介により三井記念病院の訴外三井弘医師(以下「三井医師」という。)の診察を受けた。三井医師は、胸部レントゲン撮影を実施したが、はっきりしないため、同月二五日、CT検査を実施した。右CTの画像は、胸肋部皮下の腫瘤が表面に突出していることを明らかに示すものであった。三井医師は、同月二七日、右CT検査の結果に基づき、細胞異常の疑いがあり、骨化ではなく、腫瘍又は炎症であり、乳ガンと関係あるかもしれないので、被告病院で生検、組織鏡検査を実施してもらうのがよいと考え、花子に対し、至急右CTのフィルムを持参して被告病院を受診するよう指示した。
花子は、同日、右指示を受け被告病院外科外来で受診し、右CTのフィルムを丙野医師に示した。同医師は、視診により局所皮膚の変色及び変性を認め、右CTから腫瘤様変化を認めたため、被告病院整形外科へCTのフィルムとともに紹介し、従来の診断と合致する所見かどうか判断してもらうこととした。同科の丁野医師が花子を診察したところ、膨隆様変化、腫瘍性病変、皮膚の発赤・膨張及び熱感が認められ、右膨隆部はやや硬く、皮膚を介して骨又は軟骨様に触知された。丁野医師は、右CTのフィルムから、乳ガンの骨転移像はなく、炎症性関節疾患、良性の軟部腫瘍、悪性の軟部腫瘍等も考えられるが、従来の臨床経過等を総合すると、胸肋鎖骨過骨症と診断しても矛盾しないと判断した。そこで、丙野及び丁野両医師は、当面は整形外科において過骨症に対する治療及び経過観察を行うこととし、その旨花子に告知し、インフリー及びインダシン坐剤(いずれも鎮痛剤、慢性リウマチの薬)を投与した。
10 その後、花子は同年九月一〇日、同月一七日、同年一〇月一日及び同月一五日、丁野医師の診察を受け、ボルタレン、セルベックス(胃薬)、プレドニン(ステロイド剤、抗炎症、膠原病の薬)、ダイドロネル(骨化抑制剤)及びインテバン軟膏(鎮痛剤)の投与を受けたが、痛みは特に改善することなく、局所所見もさしたる変化は見られず、血液検査の結果は正常であり、過骨症とは必ずしも合致しない状態であった。丁野医師は、同日、過骨症に対する治療効果がないことから、悪性腫瘍等軟部組織の病変の可能性も考え、花子に対し、血液検査の結果が正常値で安定していれば、過骨症ではなく軟部悪性腫瘍である可能性が高いので、切除生検により診断を確定することが望ましく、その場合は植皮も考える必要がある旨述べた。
11 同月二九日の診察時において、右胸鎖関節部の膨隆が前回受診時に比べて明らかに増大しており、上下径六五〜七〇ミリメートル、横径五〇ミリメートルの明瞭な腫瘤となっていた。丁野医師は、悪性軟部腫瘍の疑いがさらに濃厚になったと考え、花子に対しCT検査を勧めその予約をした。同年一一月五日、被告病院整形外科においてCT検査が実施された。その結果、胸肋膜部から胸郭の外側に増大した結節状の腫瘤があり、さらに皮下に湿潤した軟部悪性腫瘍があるとの所見であった。丁野医師は、花子に対し、急遽入院して切除生検を行う必要がある旨述べ、右生検を同月二〇日に予定した。また、丁野医師は、同月九日、花子の休暇取得のため「胸肋鎖骨過骨症」との診断書を発行した。
12 同月一〇日ころ、右胸鎖関節部の腫瘤が自潰して血液と水様液体が流出した。同月一二日の診察時において、右腫瘤の大きさは五センチメートル×五センチメートル×二センチメートル大であり、腫瘤部の表面の一部にビランが出現し、皮膚が破れ、血液と水様液体が流出する状態であった。そこで丁野医師は、右血性の流出液を採取し、細胞診のため病理に提出するとともに、花子に対し、右CT検査の結果によれば、胸部腫瘤であることを説明し、右細胞診の結果、悪性と確定すれば生検は中止し、そうでなければ予定どおり生検を実施する旨述べ、血液検査を実施した。花子は、同月一四日、腫瘍自潰部からの滲出及び前頚部の痛みの処置のために被告病院整形外科外来で受診し、右自潰部の消毒並びにボルタレン及びパンスポリンT(二次感染予防薬)の投与を受けた。
13 花子は、同月一六日、三井記念病院で三井医師の診察を受けた。三井医師は、三井記念病院で撮影したCTフィルムを返却してもらい、被告病院で撮影したCTフィルムを持参して別の病院に行くよう指示し、花子は右二つのCTフィルムを持参して日経BP社診療所の波多野医師の診察を受けた。同医師は超音波検査を実施し、「ガンの転移に間違いない。肋骨を通して腫瘤が認められる。患部が七センチメートルと深く、手術で取りきれるとも思えないので、放射線と制ガン剤(ホルモン剤)で細胞を破壊していく方がよい。」、「肺転移の可能性もある。」、「うちでは治療はできないので国立がんセンターと東京医科大に紹介状を書く。」と述べた。
14 同月一七日、被告病院の細胞診の結果、前記腫瘤部からの流出液から腺ガンの細胞が検出された。丁野医師は、丙野医師と協議した結果、花子に対し電話連絡し、生検は中止し、翌日丙野及び丁野両医師から今後の対策を説明する旨伝えた。翌一八日、病理から丙野医師に対し、右腺ガン細胞は当初の乳ガンの手術の際切除したものと同じものである旨報告がなされた。丙野医師は、同日、花子に対し、乳ガンの局所再発である旨告知し、入院、治療を早急に行った方が良い旨述べるとともに、乳ガンの再発の確定診断が遅れたことを詫びた。丙野医師は、同月二一日、原告に対しても右と同様の説明をした。
15 花子は、同月二四日、国立がんセンター内科において訴外安達勇医師(以下「安達医師」という。)の診察を受けた。前胸部右上部鎖骨下に、6.2センチメートル×7.2センチメートル大の皮下腫瘤、鎖骨部皮下に一〇センチメートル大の再発、鎖骨上大に、1.5センチメートル×1.5センチメートル大のリンパ節転移と思われる所見が認められた。同医師は、乳ガンの局所再発と診断し、花子に対し、ガンの進行状態はステージⅣ(最終段階)で、遠隔転移の可能性が強く、リンパ節転移もあり、皮膚にまで症状が出ているので、外科手術は無意味であり、局部ではなく、全身を対象に治療を行う、CTを見ると、病巣は右隆起部分から肋骨を通過して下に広がっている模様であるなどと述べた。また、安達医師は同日以降、前胸部皮下の細胞診、X線、肝臓超音波、肺CT、骨シンチを実施した。前胸部皮下の細胞診の結果ガン細胞が認められ、末梢結節への転移のほか、肺(最大径六ミリメートル大)、肝臓(部位はSの4)への遠隔転移も認められた。なお、骨転移は認められなかった。
16 花子は、以後同センターに通院し、安達医師の下で内分泌化学療法(ホルモン治療と化学治療の併用)を受けたが効果はなく、平成五年四月一三日から同年五月二二日まで同センターに入院し、放射線治療等を受けたが効果はなかったため、これらの治療は中止された。その後、花子は、同月二六日から同年七月八日まで葛西中央病院に入院し、その後聖ヨハネ桜町病院ホスピス病棟に転院し、同年九月二一日、同病院において乳ガンによる全身衰弱のため死亡した。
二 再発乳ガンの診察、治療及び予後について
甲第一九ないし第二七号証、第三〇号証の一、二、第三一号証、乙第六号証の一並びに証人丙野三郎及び同安達勇の各証言によれば、次の事実が認められる。
1 一般に、乳ガンの再発防止のための術後補助療法として、内分泌療法(ホルモン剤の投与)若しくは化学療法(抗ガン剤の投与)又はそれらの併用が行われ、無病生存期間、生存期間の延長、生存率の有意な改善などの有効性が確認されている。その実施期間は、内分泌療法の場合は二年ないし五年程度、化学療法の場合は六か月程度が目安とされている。
2 愛知県がんセンターにおける昭和三九年から昭和六二年までの調査結果によると、乳ガンの根治手術を実施した症例のうち二五パーセントが再発しており、その再発時期は、再発例中術後一年以内が30.8パーセント、二年以内が五五パーセント、三年以内が七〇パーセントであるが、一方、五年以後にも約一三パーセントの再発がみられる。また、一般に、初発時の進行度が早期であるほど再発時期は遅くなる傾向があり、術後五年以上経過後の晩期再発例においては、他時期の再発例に比べて年齢分布がやや若い傾向にある。
3 第四一回乳癌研究会において、再発乳ガンの再発初発部位別頻度につき昭和五〇年から同五四年の間、全国一五四施設、三〇一六例を対象として調査がなされたところ、局所皮下組織が二八パーセント、領域リンパ節が二三パーセント、対側乳房が3.8パーセント、骨転移が二八パーセント、肺が二二パーセント、肝臓が五パーセントであり、また、軟部組織(局所皮下組織、領域リンパ節及び対側乳房)への転移が約四割、骨転移は約二割である旨の調査結果が出た。術後五年以上経過した後の晩期再発例においては、軟部組織や骨の再発が多く、内臓転移は少ない。
なお、被告は、乳ガンの術後五年以上経過後における再発の九割以上が骨転移である旨主張するが、乙第六号証及び証人丙野三郎の証言中右主張に沿う陳述ないし供述部分は、前記認定に照らして採用することができず、他に右主張を認めるに足りる証拠はない。
4 一般に、乳ガンは血行性転移を生じやすく、再発した場合には、初発の時点から微少転移が全身に広がっているものと推測される。再発の初発部位がどの臓器であったとしても、結局、続いて血行性転移やリンパ行性転移を起こし、骨、肺、縦隔リンパ節への転移が認められるようになり、末期には全身転移の状態になっていることが多い。再発乳ガンは、絶えず変移を繰り返し、徐々に悪性度が高くなるのであり、早期発見・早期治療が重要である。
5 再発乳ガンの治療方法としては、遠隔転移を伴わない局所再発及び領域リンパ節再発に対しては外科的手術も有用とされているが、通常は全身性の治療が行われる。その内容としては、初発の段階で女性ホルモン受容体が陽性の場合は内分泌療法(ホルモン療法)を行い、進行度が急速であり、あるいは臓器への転移が疑われる場合には内分泌療法と化学療法との併用(内分泌化学療法)が標準的である。また、受容体が陰性の場合には、全身性の化学療法が行われる。
しかし、当時の医療水準においてはもとより、現時点においても、再発すれば、いかなる治療法を用いても完全に治癒させ、死亡の結果を回避することは不可能であり、延命効果の追求のほか、疼痛などの症状を改善することなどが治療の主要な目的とされている。
6 右治療による延命効果は、薬剤に対する感受性や転移の状況、年齢等にも左右され、個体差が大きい。一般論としては、初発再発部位が骨及び軟部組織の場合は、奏功率(腫瘍が五〇パーセント以下に縮小し、その状態が四週間以上続いた人数の割合)が高く、予後も比較的良いが、転移が全身に進展するに従い奏功率は低下し、予後も悪くなる傾向がある。肝転移が出現した後の予後は極めて不良であり、肝転移が初めから認められた場合の予後は非常に悪く、肺転移はこれらの中間で内分泌療法や化学療法が奏功することもしばしばある。
国立がんセンターにおいては、再発乳ガン患者一〇〇人中四、五人は腫瘤が全く消え、その状態が四年ないし五年ほど続いたという例もあり、再発時点から四、五年以上延命した例も少なくないが、標準的な内分泌化学療法を実施した場合の平均生存期間は約三二か月である。また、平成六年における都立駒込病院における再発乳ガンの患者の五〇パーセントが生存する期間は、軟部組織に再発した場合は四年半、骨への転移は三年半、肺への転移は二年、肝臓への転移は一年であると報告されている。
三 被告病院医師らの過失
1 花子は平成二年一二月二七日の受診時において、右胸壁のピリピリする痛みを訴えており、証人丙野三郎及び同安達勇の証言によれば、右痛みは乳ガンの再発であった可能性も否定できない。しかしながら、右時点において局所には未だ異常所見は認められておらず、証人安達勇の証言によれば、局所の痛みだけで再発と確定するのは無理であり、肋間神経痛や骨疾患を疑うのが通常であることが認められる。したがって、丙野医師に、右時点において乳ガンの再発を疑い、積極的な検査を行うべき義務があったとは認められない。
2 前記認定事実及び証人安達勇の証言によれば、花子は平成四年三月ころから右胸壁の激しい痛みを訴え、外見上も右胸壁部にかすかな隆起及び発赤があり、平成四年八月二五日の三井記念病院でのCT検査において、花子の右胸皮下の軟部組織には隆起した部分が見られたのであるから、花子の乳ガンは遅くとも同年三月一七日ころには再発していたものと推認することができる。再発乳ガンに対しては早期発見・早期治療が重要であるところ、丙野医師は、自ら花子の乳ガンの手術を行い、その後の同人の診察を担当し、花子の通院回数が少ないところから、術後補助療法が十分に行われていないことを認識していた上、平成四年三月一七日には花子の右痛みの主訴に接し、局所に発赤を認めたのであるから、乳ガンの再発を相当程度疑い、再発の発見のための積極的な検査を進めるべきであったというべきである。しかも、乳ガンの再発型式としては骨転移のみではなく、軟部組織への再発も相当の割合で存在するのであるから、丙野医師は、当時の医療水準に照らし、骨転移のみならずあらゆる再発型式を想定して、胸部レントゲン写真撮影、骨シンチのほか、肝臓超音波、CT、局所部分の細胞診等の諸検査を積極的に実施すべき義務があり、右義務を尽くしていれば、遅くとも同年四月ころには乳ガンの再発と診断することが可能であったというべきである。
しかるに、同医師は、五年以上経過後の乳ガンの再発部位は大半が骨であると思い込み、骨転移を念頭において血液検査、胸部レントゲン撮影及び骨シンチを行ったのみで、骨シンチで骨転移が否定された後は、右思い込みから過骨症との診断に固執し、骨以外の部位に乳ガンの再発がないかと疑ったこともなく、そのための右諸検査を十分に行わず、同年八月二七日以降は整形外科を専門とする丁野医師をして過骨症の治療を実施させるだけで、腫瘤の存在が顕著になり、肺及び肝臓への遠隔転移が明らかに認められるに至った同年一一月一八日まで乳ガンの再発を発見しなかったのであるから、丙野医師には右発見が遅れたことにつき過失があったものというべきである。
3 これに対し、被告は、本件のような再発型式は稀であり、ステージⅠで術後五年以上経過後の再発例の九割以上が骨転移であるから、丙野医師が骨転移を念頭においたことには合理性があり、骨シンチの結果骨転移が否定され、痛みの部位等から過骨症が一番疑われたのであるから、丙野医師に花子の乳ガンの再発を看過した過失はない旨主張する。しかしながら、術後五年以上経過後の軟部組織でのガン再発が相当頻度で存在することは前述のとおりであり、また、前示認定事実によれば、被告が過骨症診断の根拠として主張する種々の所見及び検査結果は、過骨症と診断しても矛盾しないという程度のものにすぎず、積極的に過骨症を疑わせるものであるということはできないのであるから、被告の右主張は到底採用することはできない。
四 因果関係
1 再発乳ガンは、既に初発の時点で微少転移が全身に広がっており、再発を発見したとしても、遅からず必然的にリンパ節及び肺、肝臓等への全身転移が始まり、これに対しては、現在の医療をもってしても治癒は不可能であって、化学療法により延命を図るほかないのであり、花子の場合も同様であることは前示説示のとおりである。したがって、丙野医師に前記再発の発見の遅れについて過失があったとしても、右過失と花子の死亡との間の因果関係は否定せざるをえない。
2 しかし、再発乳ガンの予後は、肝転移の有無に大きく左右され、肝転移が認められた場合の予後は極めて不良であるが、術後五年以上経過後の再発例の多くを占める軟部組織あるいは骨転移のみの場合には、内分泌療法が奏功し、相当程度の延命効果があること、一方、治療を行わなかった場合は、徐々に全身への遠隔転移が進展することは前示認定のとおりである。本件においては、丙野医師が乳ガンの再発を発見することが可能であった平成四年四月の時点において、花子の右前胸部にはかすかな隆起はあっても、明らかな腫瘤の存在は認められず、肝臓や肺等への遠隔転移が存在していたか否かは不明であるが、右時点から実際に再発と確定された同年一一月までの間において、腫瘤の存在が顕著になり、右腫瘤が大きくなり、自潰して浸出液が流出しているなど、外観上明らかな症状の悪化がみられる。右症状の変化に鑑みると、右期間における全身転移の程度にも、無視しえない差異が生じており、右症状の悪化により花子の延命可能性は少なからず減少したであろうと推認することができる。
したがって、花子が平成四年四月の時点より右内分泌療法等の治療を受けていれば、右治療が功を奏し、死期を実際の死亡日である平成五年九月二一日より相当期間遅らせることができた高度の蓋然性があり、花子は、丙野医師の前記過失により、右のような延命治療を受ける機会を、同年一一月一八日に至るまで奪われたのであって、右過失と同人の延命利益の喪失との間に因果関係を認めるのが相当である。
3 損害
前記花子が延命できた期間を具体的に算定することは困難であり、原告主張の逸失利益はこれを認めるに足りないが、少なくとも、花子は、丙野医師の前記過失により延命利益を喪失し、精神的苦痛を被ったことが認められる。また、右丙野医師は、専ら骨転移のみを念頭におき、他の再発型式を全く考えず、骨シンチの結果により骨転移が否定されると、過骨症を疑い、胸部の腫瘤の存在が明らかになった平成四年八月二七日の時点においても生検を実施せず、約二か月にわたり、整形外科である丁野医師をして見当はずれともいうべき過骨症に対する治療を実施させ、右腫瘤が大きくなり、それが自潰して血液等が流出し、肺や肝臓への遠隔転移も明らかに認められるという、もはや手遅れの状態に至った同年一一月まで乳ガンの再発を看過したものであって、これは医師に対する信頼の点から軽視することはできない。そして、右過失により花子が失望感、怒り、心残り等の感情を味わったであろうことは容易に推察されるところであって、これら本件に現れた一切の事情をも斟酌すると、右精神的苦痛に対する慰謝料としては、金三〇〇万円が相当である。そして、原告が本件訴訟の提起、追行を弁護士に委任したことは記録上明らかであるところ、事案の内容、審理の経過等を考慮すると、弁護士費用としては右金額の一〇パーセントに相当する金三〇万円が相当である。原告は、花子の唯一の相続人であるから、花子の死亡によりその損害賠償請求権を相続した。
なお、被害者の近親者は、被害者が死亡し、又は死亡したときにも比肩すべき精神的苦痛を受けた場合に限り、自己の権利として固有の慰謝料を請求することができるものと解されるところ、前記過失と花子の死亡との間の因果関係が否定される本件の事実関係の下では、原告固有の慰謝料を認めることはできない。
五 以上のとおり、原告の請求は、被告に対して金三三〇万円及びこれに対する本件訴状送達の日の翌日である平成六年九月三日から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度において理由があるからこれを認容し、その余の請求は失当としてこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条本文を、仮執行宣言につき同法一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 長野益三 裁判官玉越義雄 裁判官名越聡子)